人間は社会の中で生きる動物である。本能的に群れを作りたがる。…個人の人権が認められ、誰もが自由に生きる権利を獲得しつつある。まだ完全ではないけれど、お互いに無理強いをせず、尊重し合って生きれば、誰もが好きなことができる。もう群れを作る必要はない。
矛盾だらけの人生を誰もが生きているはずで、「私はこの方針で生きている」などと簡単にいえる人は滅多にいない、と思う。誰もがきっと悩んでいるし、不安を抱いているし、後悔もしているだろう。希望や期待ばかりで生きられるものでもない。
すべての人間は自然に生まれ、自然に死んでいく。生きている間だけ、ちょっとやかましいけれど、無理に騒ぐようなことでもない。怒ったり、嘆いたり、笑ったりするよりも、黙って周囲を眺めている方が、ずっと人間らしい。
どうでも良いことほど、人生にとって大事なものはない。生活のほとんどは、どうでも良いことで埋め尽くされている。
なにかを成し遂げようと力まない方が良い、そんな「生き甲斐追求」に拘らず、まずは自分自身を諦めるところからスタートすると、気持ちが楽になる。一生、気持ちが楽なまま生きていられるとしたら、それはそれで、まずまずの人生ではないか。なによりも、気合を入れず、意気込みを持たず、信念や期待を手放し、素直に静かに生きていれば、そこそこは楽しい日々になる。
僕の場合は、趣味や遊びの合間に仕事をしているから、仕事がすなわち暇であり、趣味や遊びが忙しさだ。この反転は、これからの社会では普通になると思われる。もう既に、昔に比べて人々はずいぶん暇になっていて、暇の方が忙しくなりつつある。
新しい発想は、知らない人や、やったことのない人の頭から生まれてくる。
…知識や経験を度外視して、まったく白紙にして考えることができれば、最高の思考といえる。
人間の仕事は、リラックスして、だらだらと時間を過ごし、あるときふと思いつく、という「発想」が基本的な生産物になる。発想が集中から生じないのは、経験から確からしい。
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